はじめに

真理の扉へようこそ

人類があらゆる知識を積み重ね、物質的高度成長を続けてきたこの21世紀に、新型コロナウイルス感染症が世界中に広まり、そして今、思いもかけなかった戦争が起きてしまいました。社会を豊かにするために貢献してくれるものと期待されてきた人類の知識が、命を奪うために総動員させられています。すべてを破壊し、命を奪うために用いられる知識などなかった方がよかったと言わざるを得ません。

利己的なマインドに動かされて人間のモラルは衰退し、世界中にテロや戦争が拡大して、核ミサイルや細菌兵器の開発に多額のお金を用いて軍事力を強化するなど、世界は不安定な社会情勢へと突き進んでいます。その原因はどこにあるのでしょうか。いまや民衆の多くが自分のエゴや強欲に負けて、物、カネ、名声をひたすら追い求め、性癖のおもむくままに行動し、贅沢な食事や着飾ることに夢中になり、便利で快適な生活を味わうことが人生の目的のようになってしまいました。物質的なものだけを求め、自己中心的な考え方におちいり、肉体だけを満足させる生き方は、人間をますます動物的にしていきます。

2022年2月24日、ウクライナで始まったし烈な戦闘は街を次々と破壊し、多くの市民が命からがら逃げまどい、瀕死の重傷を負い、死に追いやられています。戦闘はなおも収まる気配を見せません。敵対する双方とも兵器を増強し、戦況は拡大するばかりです。誰もこの戦闘を終結させる術を見いだせないでいます。新型コロナウイルス感染症に対応する妙薬の開発も完全とは言えない中、突然戦争がはじまり、それを抑えるのに有効な手だてを見つけられずにいます。

人類はこれまでさまざまな学問分野で高度な知識を蓄積してきましたが、それらのどれもが人類を今日の危機的状況から救い出すには、無力だということがあらわになりました。これらの知的蓄積は、人間社会を癒し立て直すためではなく、むしろ敵対する相手を破壊し尽くすために総動員されています。すべてを破壊し、命を奪うために用いられる知識などなかった方がよかったと言わねばなりません。これまでの教育は、エゴを増やし妬みや憎しみの種を育てるものだったのでしょうか。徳性が身についていない知識は値打ちがないことを、まざまざと見せつけられました。教育が憎しみを解き放つものでなければ、その知識は社会に役立つことはありません。世俗社会で培った学識は、霊性と結びつけられるべきです。徳性こそが、学問の値打ちを高めるのです。人間の内なる神性の片鱗をことごとく消滅させつつある教育に、もはや価値を見いだすことなどできません。私たちが学びを積み重ねるのは単に知識を増やすためではなく、まして地球上の限られた資源を独り占めするためでも、武力をもって他の人を支配するためでもなく、一人ひとりの命を慈しみ、支え、より良く育て、ともに分かち合うことのできる世界になるためであることを、私たちはしっかりと心にとどめなくてはなりません。復讐を叫ぶもの、目には目を、歯には歯をの考えをもつ者は、将来の戦争のタネを蒔いていることになります。悪に対して善で報いることのできる人間として成長しない限り、真の平和を築くことはできません。

第一次世界大戦と第二次世界大戦を経験した人類は、こうした愚かな戦争を繰り返さないようにと国際連合を創りました。しかしその国際連合も本来の機能を発揮できず、国連の無力さを私たちは目の当たりにしました。

では、何が私たちをこの混迷から救い出してくれるのでしょうか。それはきっと、「霊性の道」「霊性の知識」の中に探し求めることができるにちがいありません。人々の心から憎悪や支配欲といった否定的な感情が消えない限り、この世から争いごとがなくなることはないでしょう。今この地上の空気は、憎しみと貪欲な欲望と病的な競争意識と支配欲によって汚されています。善き徳性が追い払われているのです。私たちの発する言葉や思いは、バイブレーションとなって大気に反響します。自分の物質的利益のためだけに利用してきた知識を、これからは共通の善のために活用できるようにしていかなければなりません。今わたしたちは、物質的成長のみをめざしてきた社会は、いずれ必ず衰退にむかうのだという現実をつきつけられています。そして精神的復興がともなわなければ、真の成長はないのだということを理解しつつあります。こうして人類はようやく、霊性の科学に目を向ける時代を迎えようとしています。霊性の真理は、滅びに向かって滑り落ちている人類にとっての救命具となってくれるはずです。一人ひとりの心が、他と争うことのない平安に満たされるようになってはじめて、世界に平和がもたらされるのです。「人間の本質とは何か?」を探求して気づきが与えられたとき、外側の幸せだけを求めてきた自分の生き方が浮き彫りになり、自分の内面の世界に向かうようになります。そうしてはじめて心の変容が起きるのです。人間は肉体だけの存在ではなく、心臓の奥深くに宿る魂の中に神の分霊を有する霊的存在であることを考えるならば、霊性の学びは必要不可欠だと言えます。霊性の実践によってその内的接続が強まれば、外部の状況によってストレスを与えられることもなくなります。そして状況に適応しながらも同時に、思いやり深くあることができます。

この世のあらゆる富と権力を獲得し、世に誇れる物質的なものをすべて手に入れたとしても、人間はどこかに不満や不安というものが残っているはずです。それは「霊的な飢え」からくるものです。多くはそのことに気づいていませんが、人間は肉体だけの存在ではなく、霊魂を宿し、神性をそなえた霊的存在であるからして、霊性からかけ離れてしまっているとき、物質的に満たされていたとしても、内面では満たされない何かを感じているはずです。肉体は、地上生活での役割りのために霊魂がまとっている衣装なのです。人間の心臓の奥深くに宿る魂の中に神性を有する真の自己が内在し、そこに内なる神アートマが鎮座して、一人ひとりが神性に目覚める瞬間を待ってくれているのです。それゆえ人間は霊性からかけ離れてしまっているとき、暮らしが安泰で何一つ不自由のない生活をしていても、内面では完全な充実感を味わえていないはずです。思いどおりになる権力や富があっても、心の安らぎが得られない人はたくさんいます。物質的豊かさに、霊的豊かさが伴わなければ、誰しも本当の満足は得られません。物質的な豊かさだけではなく、霊的な豊かさも求めるようにしていき、物的存在としての社会的義務と、霊的存在としての義務を両立できるようにしていく姿勢が、これからは特に求められるでしょう。霊性は、物質世界でいかに幸せに生きるかを教えてくれる処方箋であり、自分の人生をどのように扱ったらよいのかを教えてくれる人生の取り扱い説明書といえます。すべての問題を改善してくれる妙薬は、自分の内面にあるのです。霊性の原理を学ぶことは、あなたの人生を豊かにしてくれるものと信じて疑いません。肉体の自分を最大限に生かしながら、この世に真の復興をもたらしてくれる妙薬を自分の内面に探し求めてください。一人ひとりの心に「メンタル&スピリチュアル ルネッサンス」がおきてはじめて、真の復興は実現するのです。

プレーマライブラリーが、「ラーマーヤナ」(神の化身ラーマ王子物語)の意訳を多くの方々に読んでいただきたいと思ったのは、次の文章を目にしたことがきっかけでした。

人間としての生を手に入れるのは非常に難しいことであり、人間として生まれてくることができたのは、過去世でなした行為のおかげなのです。人間に内在している神性アートマは唯一なるものであり、まったく同じアートマがすべての人のなかにあります。そのことを認識して人類の一体性を育てることの大切さを教えるために、『ラーマーヤナ』の中には、人間の内なる神性を証明する物語や実例であふれています。『ラーマーヤナ』には人類のための教訓がちりばめられているのです。それゆえ、ラーマの物語をあなたのハートに刻みつけ、そうすることで人生の成就を見いだしなさい。神ラーマを愛し、そしてその愛をとおして神ラーマを悟りなさい。神ラーマと一つになりなさい。すなわちそれは、各自に内在する神アートマを信愛し、アートマ(内在の神)を悟り、内なる神アートマと一つになるということです。それが、エゴの束縛から完全に解放され、あらゆる執着から解き放された真の自由(解脱)なのです。人間はいつかアートマの真理に至り、アートマの至福の中で永遠に生きることができるのです。人間は因果律(カルマ)による苦楽を体験して、神性をそなえた内なる真の自己の存在に気づき、人格を磨いて低我から高我へと成長して真の愛(プレーマ)を培い、個我が真我アートマに融合して同一化されるまで、すなわちエゴの束縛から解放されて真の自由を得るまで、人生の霊的巡礼の旅は続くのです。

人間の魂の中に、神性をそなえた真我アートマが内在しています。この内なる真の自己は、アートマ(内在の神)と一体になっている永遠不滅の存在で、神性をそなえています。このアートマ(内在の神)によって人間の生命は維持されているのです。もし、このアートマ(内在の神)が人間の心臓の蓮華に住んでいなかったら、誰が生きることができるでしょうか。また誰が呼吸することができるでしょうか。神の住む真の神殿は、人間のハートの中なのです。内なる真我アートマは初めから完全な存在ですが、魂はまだ完全ではなく、その魂は内なる生命霊(真我)は神と分離したものであると見なしています。魂が成長して神と分離しているという観念を超越し、全能の神と一つであることを完全に意識するようになるためには、感官に向いているマインドを内なる神性へと向けて、心を浄めていく必要があります。高潔な人格は、魂の成長のための必要条件なのです。肉体においてはそれぞれ独立した別個の存在に見えますが、内面においてはすべての人に内在するアートマは一つに結ばれ一体になっています。肉体意識を超えたところに、自他の区別のない聖域があるのです。自分とまったく同じ神が誰の内にも住み、すべての人に等しく神性がそなわっているという、この一体性の感覚を自分の思いと言葉と行いに反映させていければ、内なる神性が外側にあらわれでるようになります。内なる神への信頼と神への愛が深まるにつれ、相手の中にも神を見て、同じ神性をそなえている隣人をないがしろにできなくなります。相手にたとえ欠点があったとしても、ありのままを受け入れることができるようになり、相手に対する気づかいが生まれます。そして、神性をそなえている人間は、いつか内なる神の存在に気づき、内なる真の自己を知り、いつの日か必ず善へと導かれるのだということを、心の底から信じるようになります。

一なる神が万物に宿っているという意識が育ち、この確信をもてるようになれば、誰かに対して害を及ぼそうとする傾向をなくしていけます。すべての人に神が宿っているという事実を理解できるようになれば、相手を尊重する気持ちが生まれ、互いに誠意を示すようになります。自分の中にある神の性質を見いだすという義務を自覚するなら、自分の中で霊的変革が起こり、今の人生を有意義なものにしようという信念が生まれます。物質的な豊かさだけを求めてきた生き方から、霊的な豊かさを取り入れた生き方に改まれば、物質社会での義務と霊的存在としての義務の両立は可能です。

創造主ブラフマー神はすべてに浸透している意識であり、このブラフマー神(大我/大霊/大神)が宇宙的存在として語られるときパラマートマ(至高我/至高神)と呼ばれ、個々に内在する神として語られるときアートマ(真我)と呼ばれます。このパラマートマ(パラムアートマ)のことを仏教では仏とか如来と訳し、他の宗教では神と言っています。アートマとパラマートマの意識は、ブラフマーの神意識と完全に一体です。よって人間の本質アートマと宇宙の本質パラマートマは、唯一なる神ブラフマーと同一のものです。人間の心臓の奥に宿る魂の中に神の分霊が内在しており、そこに神性アートマが光り輝いています。この内なる神アートマによって人間の生命は維持されています。万物を包み込むほどのとてつもなく大きな神の体の中に宇宙を含むすべてが存在し、また神は極最小となって個々に内在する存在でもあるのです。自然界も人間の肉体も、すべて五大元素でできています。宇宙全体が五大元素に満ちています。しかし、神は属性をもちません。それゆえありとあらゆるところに遍満し、すべてのものの内に存在しているのです。つまり、神は自然界(プラクリティ)のあらゆる原子の中に遍満する者なのです。それゆえ五大元素でできている人間の肉体の中にも存在しています。神はこのようにあらゆる原子の中で燦然と輝き、宇宙全体に遍満しています。属性をもたない神は広大無辺な空間よりもさらに広大で、そのとてつもなく大きな神の身体の中に宇宙を含むすべてが存在し、そこでありとあらゆることが繰り広げられているのです。神はまた、最も小さな原子よりもさらに極小の光輝となって、一人ひとりのハートの中にアートマ(内在の神)として住んでおられます。神は、人間の想像をはるかに超えています。目には見えない全知全能の神が、大霊(大我)として実際に存在しているのです。神のなせるわざは、人間の知恵では計り知れません。神の摂理は完璧です。

人間は肉体だけの存在ではなく、肉体の奥に霊魂を宿し、神性をそなえた霊的存在であるからして、霊性は宗教がなくても存在します。生まれながらにして人間にそなわっている内なる神性は、宗教の部類に属するとして教育から排除されるべきものではなく、生まれ持った人間の本質なのです。この内なる神性は、人間性を神性へと変容させていくために、神から授かった大切な宝物です。そして霊性とは、人間の身体と魂のなかの神性アートマの関係を示すものです。肉体は、地上生活での役割のために魂がまとっている衣装であり、魂を成長させて内なる真我アートマの覚りへと至るための道具なのです。肉体が存在するためにはアートマが必要ですが、アートマは肉体がなくても永遠に存在し続けます。このアートマ(内在の神)が肉体から去ったとき肉体の死を迎えますが、それは生の終わりではありません。肉体が滅んでも魂の中の真我アートマは永遠に生き続ける存在です。この内なる真の自己は、アートマ(内在の神)と一体になっている永遠不滅の存在で、神性をそなえています。魂の中の真我アートマは、不死であり、老いや死や悲しみ、渇き、空腹からも影響を受けることはありません。この永遠の命を得るために、霊性について学ぶことはとても重要なことなのです。

多様性の中に一体性の原理があることを認識できるようになるためには、あらゆるものの中に神を見る訓練をしていかなければなりません。別個であるという肉体意識を超えて、すべての人の内に自分とまったく同じアートマ(内在の神)が住み、すべての人が神性をそなえていることに気づかなければなりません。すべての人のなかに神を見るようになり、内なる神への信頼が深まると、自分と同じ神性を宿している隣人をないがしろにできなくなります。多様性の中に一体性の原理があることを見て取れるようになると、「世界は一つの家族である」という一体感が芽生えます。この一体性の感覚を自分の思いと言葉と行いに反映させていくならば、内なる神性が外側にあらわれ出るようになります。実際、人類はアートマという神の愛で結ばれた一つの家族なのです。このようにしてアートマに信頼を置くようになり、アートマは万人の中核に存在していると信じるなら、アートマはあなたの内に共鳴的な振動を生み出します。それゆえ他の人が幸せであれば、あなたも幸せになり、他の人が悲嘆の中にあれば、あなたも同じくらい悲しく感じるのです。それがプレーマ、すなわち最も気高く、最も誠実な愛なのです。

「ラーマーヤナ」は、真理の扉、すなわち人のハートにそなわっている内なる神性へと人間をいざなう物語です。

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