魔王ラーヴァナは敵方が海を渡るための橋を建造したことを聞いて、驚愕しました。そして、すでに敵の大軍がランカー島に到着していることを知ったのです。ここから戦争の準備がはじまりました。人は戦争によってしか、平和の大切さを知りえないのでしょうか。
魔王ラーヴァナの第一王妃マンドーダリーは、夫の悪しき行為を正そうと力を尽くしました。「主ラーマは最高神ナーラーヤナ(ヴィシュヌ神)の化身です。ラーマ様に打ち勝つことなどできません。人の妻を奪うことは恐ろしい罪です。どうかシーター様を、ラーマ殿にお返しください。そしてどうか降伏し、主ラーマの御足にひれ伏しますように!」マンドーダリーは、このように夫の説得に努めました。夫ラーヴァナの生き方を改めさせようと、長い間辛抱強く力を尽くしてきたのです。このままでは夫ラーヴァナは容赦ないカルマの法から逃れられず、最悪の事態を迎えるであろうことは明らかです。カルマの輪廻から夫を救うためには、夫ラーヴァナに心を改めさせるしかありません。それゆえマンドーダリーは忍耐して、夫への助言を辛抱強く続けてきたのです。しかしラーヴァナは、妻マンドーダリーの言葉を真剣に受け取りませんでした。
ラーヴァナは都のすべての門にバリケードを築き、城壁をしっかり守り、昼も夜も厳重に見張るよう命じました。大魔王ラーヴァナとその息子インドラジットは、自分たちの呪術を使えばどんなことでも成し得るといった、揺るがぬ自信をもっていました。だからこそ、今までどんな戦にも負けたことがありませんでした。ラーヴァナの息子インドラジットは先陣をきって進み、「勇気を奮い起こせ! 自信をもって敵を攻撃せよ!われらは負け知らずだぁー!」と雄たけびをあげると、インドラジット率いる軍勢は、ラクシュマナ率いる軍勢に襲いかかっていきました。インドラジットは地上から空中に舞い上がり、妖術を使って姿をくらましたまま呪文をかけて、風が雲を吹き払うように勇敢な猿たちを蹴散らしました。インドラジットは黒魔術にだけ興味をもち、ある程度の呪術が行えるようになっていたのです。大魔王ラーヴァナも戦の太鼓を打ち鳴らし、大軍を率いて戦闘を開始しました。ラーヴァナは苦行によって身についた呪術を振りかざし、呪文をかけられた猿の軍隊の多くが意識を失いました。ラーヴァナから猿の軍勢を守ろうとしたラクシュマナもまた、ラーヴァナの呪術によって地上に倒れ、気を失ってしまいました。
知恵あるヴィビーシャナはハヌマーンに言いました。「おお風神ヴァーユの息子ハヌマーンよ、ヒマラヤ山脈に向かって飛んでくれ! そこには、病や傷を癒すサンジーヴァニーという薬草が生えている。その薬草を全部引っこ抜いて、大急ぎで戻ってこられよ!」
勇敢で忠実なハヌマーンは、ヒマラヤ山を目指して空中へと舞い上がりました。ラーマの御名を唱えながら飛び続け、ヒマラヤ山に到着したものの、たくさんの種類の薬草が生えていて、サンジーヴァニーという薬草を見分けることができませんでした。とうとうハヌマーンはその山の塊りを持ち上げて、両腕に抱え急いで戻りました。早速その絞り汁を倒れている者たちに与えると、彼らは息を吹き返しました。ラクシュマナもまた、たちまち意識を取り戻しました。
ラクシュマナは気を失っているあいだ、内なる神の声を聞きました。「あらゆる武器を手から放しなさい。両手の手のひらを合わせて、『ナーラーヤナ アシュトラ』に恭順の姿勢を示しなさい。戦うことで勝利が得られると信じているエゴの冠をひれ伏させなさい。『ナーラーヤナ アシュトラ』は、打撃を与えたり殺したりすることで征服できると考えている者を破壊するだけだ。武器を捨てて平安でいつづければ、どんな逆境も祝福に変化させることができる。危機が転じて祝福となるのだ。武器を捨て、ひとたびわれわれが日々の儀式を通して純粋さを得れば、どんな危機も乗り越えることができる。恐れてはならない」
ラクシュマナは意識を取り戻すと、武器を置いて頭を低く垂れ、『ナーラーヤナ アシュトラ』に合掌して敬意を表しました。すると『ナーラーヤナ アシュトラ』は、その矢頭の向きを変えて引き返し、それは主ラーマの手の内へと収められました。そしてインドラジットの呪術はその力を失いました。インドラジットは真っ逆さまに地上に落ち、自らの魔力の罠にはまって命を落としました。
心には、数多くの過去生での体験や行為や思いが刻印されています。人は皆、そうした過去生からの潜在的傾向を強くもってこの世に誕生するのです。インドラジットは激性ラジャスという潜在的傾向を強くもって、この世に誕生しました。今生において、身近にサットサンガ(善なる仲間との交友)があり、霊性の師の導きがあったならば、神性アートマの原理を知り、善い性質を培うことができたはずです。しかし彼は、父ラーヴァナの影響を多分に受けてしまいました。生まれながらにして莫大な資産を持つ父ラーヴァナのもとで何一つ不自由のない環境が与えられ、快適で贅沢な暮らしを味わってきました。人間として生まれた究極の目的についても、人間に内在する神性についても考えたことはありませんでした。悪に染まり、エゴを野放しにして、自己中心的な生き方を修正できなかったインドラジットは、故意に犯した悪事の結果として、自らの過失によって人生を終わらせることになりました。
ラーヴァナは息子インドラジットの最後を見て、怒り狂いました。ラーヴァナは黒魔術を使って、ラーマの目の前にシーターの生首を投げつけました。羅刹の妖術をすべて知り尽くしていたたヴィビーシャナは、叫びました。「主ラーマ、その首は作り物です。この世で誰がシーター様をあやめることができましょう。貞淑と美徳をもち、操の化身であられるシーター様に、誰が触れることなどできましょう。その首はまやかしです」ヴィビーシャナには、羅刹の呪術と呪文を見抜く力が具わっていました。ヴィビーシャナはラーマの御名を唱えながら、ダルマが勝利することを祈りました。
ラーヴァナは十の頭をもつ者と言われていました。その「十の頭」とは、四つのヴェーダと六つのシャーストラを象徴しています。それらの聖典をすべて熟知していたにもかかわらず、ラーヴァナはそのご利益を得ることができませんでした。なぜなら、教えを実践してこなかったからです。すべてのシャーストラが「つねに助け、決して傷つけてはならない」と宣言しているにもかかわらず、ラーヴァナはその教えを実践しませんでした。単に聖典を熟知することよりも、教えを実践することの方がはるかに大切なのです。
誰も自分のカルマ(行い)の結果から逃れることはできません。ラーヴァナはいずれ必ず、悪名高い所業の報いに直面することになります。カルマの結果は即座にやってくるものではありませんが、必ずやって来ます。いよいよラーヴァナにその時が近づいていました。自分が行った数々の悪行の報いに直面する時を迎えようとしていたのです。
息子のインドラジットと弟のクムバカルナと味方の軍勢をことごとく失っていたラーヴァナは残った手下の羅刹たちとともに、強靭な矢を次から次と放ち、ラーマを攻め立てました。しかしその矢は、ことごとくラーマの前で打ち砕かれました。ラーマはマーサナアシュトラ(心の矢)を使ったのです。ラーマの一本の矢(マーサナアシュタラ)は、四万本の矢となって悪から正義を守るのです。そこでラーヴァナは激しい苦行で獲得した幻術を使い、ラーマめがけて特別な矢を放ちました。しかしラーヴァナの手から放たれた矢はラーマに命中することなく、インドラ神のカンタアシュトラ(棘の弓)が、ラーヴァナのマインド(頭)を貫きました。邪悪な性質や煩悩を打ち破る神威の光輝が波のうねりとなり、凶悪なエゴの息の根を止めたのです。類いまれなる才能と苦行によって授かった超自然な力を、ラーヴァナは利己的な目的のために誤用しました。あらゆる富と権力を獲得し、すばらしい才能と知識をもちながらそれらを悪用し、何一つとして社会のために役立てようとはしませんでした。ラーヴァナのマインドの死は、エゴが死んだことを意味します。
ラーマは社会に悪影響を及ぼしてきたラーヴァナのエゴを破壊したのです。ラーヴァナの限度のない欲望と悪質なエゴは、ランカー国に滅亡をもたらしました。ラーマは邪悪な性質を破壊する行動に携わっているとき激性の要素を表わしますが、ラーマの激性は浄性と結びついたものでした。ラーマには自分のためという思いは一切ありません。それはただただ、彼らを罪から救うという義務のためでした。不正と不道徳がとてつもない勢力となって利己主義と私利私欲がはびこるとき、アートマ原理の神聖な力は激性の特質をあえて身につけ、悪の要素を破壊しようとするのです。しかしそのことを、神は罰したり護ったりすると観ることは間違いです。自分自身の功徳が自分を護り、自分の悪徳が自分を罰するのです。誰も自分のカルマの結果から逃れることはできません。自分が蒔いた種は、必ず刈り取らされるのです。
魔王ラーヴァナは苦行で得た力を、憎しみをもったまま他と争うことに使ったため、この世の秩序を乱し、社会を混乱させることになりました。ランカー国で生き残った寡婦は夫の遺体にすがって泣いていました。戦場で孤児となった子どもたちも両親の遺体にすがって泣いていました。何も悪いことをしていない者でさえ戦いの犠牲になり、ランカー国のすべての人の顔が悲嘆にくれました。戦争も平和もすべては、心がつくりだすのです。戦争は、そのもとになっている心の因子を変えない限り、同じことが繰り返されます。超能力は魔神らがよく使い、一見奇跡に見えることも簡単にやってのけ、人々の心を惹きつけます。しかし、それはまことの神の力ではありません。超能力は単に物を動かし、まことの神の力は魂の感動をともなって心を動かすのです。
魂の奥に隠された黄金(神性)は、エゴがたたき砕かれてはじめてその光輝を発揮するようになります。神の化身ラーマによって、神の摂理の完璧さと因果律が数学的正確さをもってはたらいていることをラーヴァナはようやく知ったのです。因果律(因果応報・カルマの法則・原因と結果の法則)のはたらきは、避けようにも避けられません。自分が蒔いた種は、必ず刈り取らされるのです。カルマの法則がはたらくこの世においては、人間は神性を有する真の自己アートマに達するまで、まことの安らぎは得られません。思いどおりになる権力や富があっても、心の安らぎが得られない人はたくさんいます。それは、自分の内なる神アートマから離れて生きているからです。真我アートマへの知識が不足しているからなのです。この世のあらゆる富と権力を獲得し、必要なものすべてを手に入れたとしても、人間はどこかに不満や不安というものが残っているはずです。それは「霊的な飢え」からくるものです。そのことにラーヴァナ自身、気づいていませんでしたが、権力と富を獲得してエゴをどんなに満足させたとしても、内面では完全な充実感を味わえていなかったはずです。それは霊性、すなわちアートマからかけ離れてしまっていたからです。物質的豊かさに、霊的豊かさが伴わなければ、誰しも本当の満足は得られません。なぜなら、神は霊的存在として人間を創造したからです。