はじめに

2022年2月24日他国の攻撃から始まったウクライナでのし烈な戦闘は、一年を経過した今もなお繰り広げられており、止む気配はありません。敵対する双方とも兵器を増強し、戦況は拡大するばかりです。誰もこの戦闘を終結させる術を見いだせないでいます。そしてさらにこの惨事を利用して、ウクライナ国内では閣僚たちの私腹を肥やす汚職事件が次から次と発覚しました。人間に与えられている知性は利己的なことに誤用され、各自に内在する神性が見失われているのです。心には、マインドとハートの区分があります。感覚を抑制できずにいると、人はマインドに動かされて利己的な思考と衝動におちいり、ハート(良心)に基づいて行動することができなくなるのです。物質至上主義によるモラルの衰退は世界中に蔓延しており、こうした深刻な精神の堕落があらゆる惨事を引き起こしているように思われます。

人類はさまざまな分野でめざましい発展を遂げ、文明を作り上げてきました。しかし今ここにきて、戦争の脅威・感染症の脅威・自然災害の脅威・飢餓の脅威・犯罪の脅威、こうしたさまざまな脅威がいま世界に押し寄せています。

人類はこれまで科学技術を発展させて物理的メリットを生み出しました。しかし同時にデメリットも生じています。また農業技術を発展させて、農産物を十分に生産できるようにしました。しかしながら、いまなお世界には飢餓に苦しむ人々がいるのです。そして疫病などを克服しようと医学を向上させ、さらに経済を発展させて、国も個人も豊かになることをめざしました。また戦争や人種差別を回避するため、人権や国際法などにも取り組んできたのです。しかし今、それらすべてが行き詰っています。あらゆる分野で高度成長を続けてきた社会はさまざまな矛盾をかかえ、解決の糸口をまったく見つけられずにいます。その根本的原因はどこにあるのでしょうか。

文明と人類の進歩発展のために、学校などの教育機関やさまざまな分野の研究機関が創られました。しかしそこでの研鑽の結果が、物質中心主義や個人主義を生み、いつしか人間の欲望を肥大化させて物質至上主義におちいるといった絶望的な事態を招いてしまっているのではないでしょうか。そうした現実をまのあたりにして思うことは、まずは学校教育や研究機関での研鑽の内実が問われなければならないということです。「学ぶとは、真理を胸に刻むこと」という言葉がありますが、あらゆる学びや研究の根底に「真理を胸に刻む」という根本的精神が流れていたでしょうか。人間は肉体だけの存在ではなく、肉体の奥に霊魂を宿し、神性・仏性をそなえた霊的存在であるということは、疑いのない事実です。宗教がなくなったとしても、人間が神性を宿す霊的存在であるという事実はあり続けます。この内なる神性は、人間が高遠なる目的に到るために神から授けられた特別な贈り物です。一人ひとりがこの内なる神性に目を向けて行動するようになれば、世の中はきっと変わっていくはずです。しかしこの内なる神性をなおざりにして、ものごとをマインド(利己的な思考)にしたがって進めてきた結果、あらゆることが行き詰っているように感じられます。

今、これまでの膿という膿のすべてを出し切ろうとするがごとく、感染症の脅威、戦争の脅威、自然災害の脅威、飢餓の脅威、犯罪の脅威など様々な脅威が世界に押し寄せてきており、大きな不安や動揺があります。それは物質的な快適さや便利さが大きな向上を遂げた一方で、内なる神性を忘れてしまった人々から崇高なる性質が欠如してゆき、人格や美徳や正義感がそれ相応の向上をしていないためだと思えるのです。人間が感覚を野放しにすることによって、心(マインド)は利己的な思いと衝動におちいり、ハートにある内なる神性を見失っています。それゆえ、いま世の中にさまざまな問題が生じています。

人間は肉体だけの存在ではなく、神性をそなえた霊的存在であるからして、この内なる神性を忘れてはいけないはずです。世界のあらゆる混乱と悪は、人がマインドに動かされて利己的な思いと衝動におちいり、内なる神性を忘れてしまったという事実が原因していると思えてなりません。人間に内在する神性を忘れてしまった人々から崇高な性質が欠如していき、それがすべての災難を引き起こしていると思うのです。物質的な豊かさだけを求め、肉体だけを満足させる生き方は必ず行き詰る、という現実をいま突きつけられています。

「学ぶとは真理を胸に刻むこと、教えるとは共に希望を語ること」という言葉の深い意味を熟慮するとき、私たちは内なる神性を胸に刻み、ともに希望を語れる世の中にしていかなければならないと切に思うのです。

生まれながらにして人間にそなわっている内なる神性は、宗教の部類に属するとして教育から排除されるべきものではなく、生まれ持った人間の本質なのです。わたしたちの学びと生活は、精神と調和したものでなければなりません。社会的生活と精神とのバランスは重要であり、ゆえに意識して内なる神性を思い起こし、神性への信心を育むことは大切なことなのです。神性への信心を育むとは、内なる神性に信頼を置くようになり、その神性を土台として生きるということです。感官の方を向いている心(マインド)を、内なる神性へと向け、その神性に信頼を置いて、各自に内在する神性が外側に輝き出るようにならなければなりません。神性を人生の土台として生きながら、あらゆる場面で内なる神性が外側にあらわれ出るようになるならば、つまり自分の中に染みついた利己主義が、愛と思いやりに置き換えられるとき、自分だけではなく周りの環境も変わり始めるのです。

人間に生来そなわっている神性は、人間性を神性へと変容させていくために、神から授かった大切な宝物です。ゆえに人間は、内なる神性への信心を育んでいかなければなりません。わたしたちがこの内なる神性を思い起こし、神性に信頼を置くようになれば、その内なる神性が、人間の意識の奥にある識別する知性を通してはたらくようになります。この人間に内在する神性こそが、わたしたちを導く唯一のガイド、すなわち内なる良心の声なのです。

私たちが利己的なマインドに動かされず、自分のハートにある内なる神性に目を向けて行動すれば、見えざる神の導きを得て、「すべてのことが転じて善きにはたらく」を実感するはずです。

人間性は、感覚のコントロールによって神性へと高められます。どうぞこの後に続くいにしえの教えを、「図書館だより」をとおしてご一読ください。

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