猿族の王国キシュキンダーに戻って王位に就いたスグリーヴァは、兄ヴァーリの妻とその息子アンガタを生涯にわたって大切にすることをラーマに誓いました。
雨季が終わった頃、猿族の王スグリーヴァはラーマとの約束を果たすため、使者を四方八方に送り出し大勢の猿たちを集めました。猿王スグリーヴァの命令を聞いて各地から集まった猿の軍勢を四つのグループに分け、東西南北の四方面へ一隊ずつシーターの捜索に向かわせました。兄の息子アンガタには南方を捜索する軍の指揮をとらせ、補佐としてハヌマーンをつけてやりました。猿の軍勢は四方に散って、隈なくシーターを捜し回りました。何日もかけシーターの捜索にあらゆる力を尽くしていましたが、一向に手がかりが見つからず困り果ててしまいました。猿たちは疲れ果て、落胆したまま眠りにつくことも増えました。隊長アンガタは部下たちに十分な休養をとらせている間も、自分は決してあきらめることなく、ラーマの御名を唱えながらシーターのゆくえをひたすら捜しました。自分の任務を誠実に果たそうとする隊長アンガタの姿勢に、部下たちは鼓舞されました。ハヌマーンもまたラーマの御名を唱え、ラーマの栄光を歌いながらシーターを捜していました。そんなアンガタとハヌマーンの様子を見ていた猿族の一人がラーマの御名を高らかに唱えると、また一人、また一人とラーマの御名を唱えはじめました。ラーマの御名を唱える声は森中に波動となって響き渡り、森は神聖な雰囲気に包まれました。
そんな中、猿たちは森の中でいくつかの装飾品を見つけ、それを包みに入れて持ち帰りました。ラーマはラクシュマナに包みの中の装飾品がシーターのものかどうか調べるように言いました。ラクシュマナは装飾品のなかで、シーターが足の指にはめていらした指輪だけは確認できました。ラクシュマナは毎朝、シーターの御足にひれ伏して挨拶をするときに、それを目にしていました。首飾りなど他の装飾品につてはわかりませんでした。なぜなら、ラクシュマナは一度たりともシーターの顔を見たことがなかったからです。ラクシュマナは、ラーマとシーターと共に十三年間暮らしましたが、一度たりともシーターの顔を見ようとはしなかったのです。それほどまでに、ラクシュマナは感官の厳しい制御を実践していたのです。「見る」という行為を抑制し、神だけをみつめ、神に集中するという見習うべき模範をラクシュマナは示しました。
猿の軍勢が熱心に捜索活動をしている様子を見ていた一羽の大鷲が、猿族の一体性に感銘をうけたと言って、アンガタとハヌマーンの前に姿を現わしました。この大鷲の名はサンパチといい、自分は夜明けの神アルナの息子だと名乗りました。鷲のサンパチは、ラーヴァナが不思議な飛行物体に一人の女性を乗せてランカー島に向かったのを目撃していたのです。こうしてようやく一つの手がかりをつかんだ猿たちの喜びはひとしおでした。大鷲サンパチは、パンチャヴァティーの森でシーターを救おうとして命を落とした鳥族の王ジャターユの兄だったのです。
ハヌマーンとアンガタはすぐに猿王スグリーヴァのところへと飛び、シーターの消息の手がかりをつかんだことを報告しました。シーターが連れて行かれた場所は、大海に囲まれた島国ランカーです。橋が架かっていないランカー島に行くには、大海を飛び越えるしかありません。それができるのはハヌマーンだけです。猿王スグリーヴァは偵察のため、強靭な力と知恵を持つハヌマーンをランカー島に向かわせることにしました。そしてシーターの居場所をつきとめたならば、報告のために一旦キシュキンダー国に戻るよう命じました。
ラーマは神の化身であり、シーターを見つけ出すことは自らの全知の能力で可能でした。しかしラーマは、帰依者ハヌマーンに探索させたかったのです。そうすることで、ハヌマーンの信愛と誠実さと信仰心を世に示すことができるからです。これはハヌマーンへの神の恩寵です。ハヌマーンは神の恩寵を授かるにふさわしい謙虚さを持っていました。ハヌマーンは名声や称賛を念頭におかず、いつも人々に対する善行のみを考えていました。有名になることを求めず、自分の奉仕した人の顔に輝く喜びのみを求めたのです。奉仕活動は他の人のためというよりも、自らを変容させる一つの手段であり、神我実現への道なのです。ゆえに見せかけではなく、本当に相手を思いやる気持ちから突き動かされるべきであり、自然に湧き上がる真心から行われなければなりません。
怒り、憎しみ、悪意、貪欲、妬み、嘘、派閥争い等々の産みの親である欲望の手の中から自由になるには、祈りと善行によって、また欲と私心のない行為によって意識を浄化しなければなりません。奉仕は、心(マインド)を欲望へと引き寄せる邪悪な力を消し去るための最良の霊性修行(サーダナ)です。心(マインド)は、無私の奉仕や神の御名の唱名や瞑想といったよく切れる捨離の刃をもつ手段を用いて小さく切り砕くことで、初めて溶かすことができるのです。ハヌマーンは、自分は神を主人とする召し使いであるという態度をとりました。奉仕する相手にどうすれば力になれますかと尋ね、たとえ感謝が示されなくとも、たとえ冷たい沈黙にあったり、肩をすくめて嫌悪されたりしても続けていきなさい。というのは、与え許すことは神性をそなえた人間の本質であるからです。