3.聖者ヴィシュワーミトラの訪問

ラーマをはじめとする四人の息子が十四歳に達すると、ダシャラタ王は息子たちの結婚について考えました。少年が堕落することがないように、結婚式を早くに執り行うのは当時の伝統でした。息子たちが十四歳の春を迎えることとなったある日、ダシャラタ王は王宮で息子たちの結婚について相談役の高官たちと会議をしていました。その時、都の門の守衛が王の御前に進み出て、ヴィシュワーミトラと申すお方が王にお目にかかりたいと門まで来ておられると告げました。ダシャラタ王は来訪者の名前を聞くとすぐに立ち上がり、馬車にも乗らず歩いて、賢者の中でもとりわけ人々に敬われている聖賢ヴィシュワーミトラの出迎えに急ぎました。そしてその聖賢の前にひざまずき、自らその聖賢の足の砂をはらい、御足に触れて敬意をあらわしました。世俗から距離をおき、心を浄めて真理を求める聖者は、王宮に住む人たちよりはるかに高く崇められていたのです。

王は偉大な聖賢ヴィシュワーミトラの来訪を心から喜び、次のように申しました。「ああ、尊い聖者さま、きょうあなた様がおいでくださいましたことは、わたくしたちにとりまして大きな幸運です。わたくしは息子たちの結婚を考えています。それゆえ、きょうあなた様をここにお迎えできてこの上なく幸福に存じます。どのようなわけでここをお訪ねくだされたのか、お聞かせくださいませ。いかなることをお望みになろうとも、わたくしは何なりと喜んでいたします。お望みのものは何なりと差し上げます。本当によくおいでくださいました。あなたのごとき卓越されたリシ(聖者)にお目にかかれまして、あたかも甘露を得た心地です。あなたは王族出身の聖仙といわれておりましたのに、苦行によって燦然と光り輝くリシの地位を得られたお方です。聖仙よ、あなた様にお会いできましたことを大変光栄に存じます。わたくしは感謝の心で、あなた様のために何かお役に立つことをしたいと存じます。どうか遠慮なく、御用を仰せつけてください。わたくしはあなた様のお望みどおりに何でもいたします」

ダシャラタ王のこのような親切な言葉を聴いて、偉大なる栄光に輝く聖賢ヴィシュワーミトラは大変喜び、次のように語りました。「偉大なる王よ、わたしは特別な頼みがあって、住処である森からはるかな道を歩いてこの王宮まで参ったのだ。息子のラーマをヴェーダの儀式を執り行う十日間だけ、この私に託してほしい。大事な供犠祭(ヤグニャ)を最後まで執り行うためには、あなたの息子ラーマの力が必要なのだ。何卒、お聞き届けくだされ」ヴィシュワーミトラ仙はこのようにダシャラタ王に嘆願しました。ヤグニャ(供犠)の警護のために、ヴィシュワーミトラはラーマに助けを求めたのでした。

ダシャラタ王は心臓を突き刺すようなヴィシュワーミトラ仙の言葉を聞いて、激しく動揺し、心が乱れて気を失いかけました。ようやく身を起こし、聖仙ヴィシュワーミトラに言いました。「おお、聖仙よ!わが息子ラーマはまだほんの十四歳に過ぎず、戦に出た経験もなく、なんの試練も経験していません。ラーマをどうして森に行かせることができましょうか。わたくしがヤグニャを守護するために森へ行きましょう。ラーマはこの任務を行うには若すぎます。ラーマを行かせることはできませぬ」

ヴィシュワーミトラ仙は、王自身が自分の語った約束を一時の感情でくつがえそうとしている態度を戒めるように、威厳をこめて言いました。「おお王よ、そなたは私の願いを叶えると約束したではないか。いま、そなたは約束を違えるのか。イクシュヴァーク王家の代々の王たちは約束をたがえることは決してなかった。約束を破ることは愚の骨頂だ。どんな理由があるにせよ、そなたが約束を守らぬならば、そなたの一門に不名誉を招くことになる。ダルマに従うならば、己がした約束は必ず果たすべきなのだ。さぁー、一門に不名誉をもたらすか、息子を森に遣わすか、決めていただきたい」

ダシャラタ王はしばらく考えましたが、決心がつきませんでした。ちょうどその時、祭司官を務める聖賢ヴァシシュタが王国に戻ってこられたとの報告がありました。王は助言を求めるためヴァシシュタを呼びました。ヴァシシュタは王をなだめるように言いました。「ああ王よ、イクシュヴァークの家系の子孫として自らの約束を反故にするのは正しいことではない。あなたはこれまでひたすら徳を積む道を歩んでこられました。思いと言葉と行いの三つが一致していなければ、ダルマに背くことになります。いま、そのダルマを見捨てて約束を破るようなことがあってはなりませぬ。たとえどんな理由があろうとも、自分が言った言葉を実行しないときは王の功徳が損なわれましょう。ラーマは普通の人間ではありません。ラーマは吉兆なるお方であり、ナーラーヤナ神(ヴィシュヌ)の化身であられる。ラーマは神の意志によって、そなたの息子として生まれました。かれは力と英知の権化です。ラーマの安全を怖れる必要はない。ラーマはいかなる危険も受けることはありません。それゆえ、ヴィシュワーミトラ仙との約束をお守りください。王子をお遣わしになることを恐れてはなりませぬ。ヴィシュワーミトラ仙は卓越した智者であり最高の聖賢であられます。ラーマを委ねても何の心配もありません。お委ねになるべきです。このお方にお伴することは、ラーマ王子のためにとてもよいことでございます」ヴァシシュタ仙がこのように語ると、ダシャラタ王は笑みを顔に浮かべて、この賢い忠告を受け入れました。そして、ラーマをヴィシュワーミトラに随行させることに同意しました。ダシャラタ王がラーマを呼びよせると、ラクシュマナ王子も自発的についてきました。ダシャラタ王は二人の王子を抱きしめたあと、二人を聖賢ヴィシュワーミトラの手に委ねました。

ラーマは、聖賢ヴィシュワーミトラを自分のサットグル(真の霊性の師)として受け入れました。そして師ヴィシュワーミトラの勧告に従って、ヤグニャの供犠を警護するという決意をもってヴィシュワーミトラに随行しました。ラクシュマナもそれに追随しました。ヴィシュワーミトラ仙は感動で身震いしました。というのは、まさしくナーラーヤナ神(ヴィシュヌ)が自分につき従ってくれたからです。

ダルマを再建するために肉体をもってこの世に降臨した神の化身ラーマは、真の霊性の師(サットグル)の偉大さと重要性をこの世に示すために、自ら聖賢ヴィシュワーミトラの弟子になったのです。そして師を敬い、師に頭を下げて額ずき、謙虚になって仕え、弟子としての模範的な姿勢を人々に示しました。真の師に額ずいて、すべてを神にゆだねる謙虚さがなければ、真の智慧も神の恩寵も流れ込めません。頭を下げて謙虚になることができないと、真理の扉は閉じたままで、神性アートマの神意識の中に入っていくことはできないのです。謙虚とは、エゴがないことです。エゴを捨て、謙虚に主の足元にすべてをゆだねた人には、過去は影響できなくなります。神にすべてをゆだねた魂からは、過去のカルマは葬り去られて、神の恩寵が自分を導いてくれていることが感じられるようになります。謙虚さとはまた、すべてのものの中に神を見て、自分の内にも、他のあらゆるものの内にもアートマ(内在の神)が輝いていることを認めることです。神は常にあなたの中に、あなたと共に、あなたの周りに、あなたの下に、あなたの上にいて、偏在であり、あらゆるものの中にアートマとなって浸透しています。すべての人に等しく神性が宿っていることを知覚して、すべてのアートマが一つに結びついているという一体性を感じることができれば、互いに傷つけ合うこともなくなるでしょう。神へのゆだねと謙虚さがなければ、自分の意識の深み、すなわちアートマの神意識へともぐっていけません。完全にエゴがなくなってはじめて、すべてのものに頭を下げることができるのです。一切の差異や区別が消え、あらゆるものが一つになっていて、すべてが一なる神のあらわれであることを認識するのです。グナの住みかであるマインドの束縛から解放されてエゴがなくなると、人は心(マインド)を超越して、無になります。つまり心(マインド)が不動になり、ハートの中の神性意識(良心)がはたらくようになるのです。マインドを超越しない限り、神性を経験することはできません。神の恩寵が私たちに流れるためには、神へのゆだねと謙虚さが重要なのです。謙虚さだけが、神へと続く道を確実にしてくれます。霊性の美しさは、謙虚さの内にあります。それゆえエゴと執着から生じる心(マインド)の汚れを霊性修行によって取り除かなければいけません。常に神を憶念し、神の御名を唱え、あなたが主の御名に没頭するとき、神の威厳、神の恩寵、神の力、神の遍在があなたの意識に定着し、エゴを手放した自分の中で神がはたらくのを実感できるようになるのです。すると謙虚さが増し、神への全託は極めて容易になります。これこそが、神を見て、神に帰融することを可能にします。

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