ヤグニャ(供犠)が終わると、ジャナカ王が統治しているヴィデーハ国の首都ミティラーから一人の使者が到着し、ジャナカ王からの手紙をヴィシュワーミトラ仙に手渡しました。それはジャナカ王が行うヤグニャ(供犠)に、ヴィシュワーミトラに加わってほしいとの招待状でした。このヤグニャの儀式には特別の意味があり、盛大な催しが準備されていました。ジャナカ王は覚りの境地に達していた方で、完全な平静さをもって国を治め、自分の務めを誠実に果たしていました。幸運が舞いこんでも、不運に見舞われても、人生の出来事にまったく心乱されず、無執着の人でした。
ジャナカ王の宮殿には大変壮麗なシヴァ神の弓があり、その弓は普通の人間が持ち上げることのできない非常に重いものでした。ジャナカ王の娘シーターがまだ幼かったある日のこと、彼女は他の少女たちと一緒にボールでゲームをして遊んでいました。たまたまそのボールが転がってシヴァ神の弓を納めてある箱の下に入ってしまいました。少女たちは皆で弓を脇に動かそうとしましたが、無駄でした。力持ちの男性たちを呼んできて彼ら全員の力で弓を動かそうとしましたが、1インチたりとも動きませんでした。父であるジャナカ王がバルコニーからこれらすべてを興味深く見ているのに気づかず、しばらくたってシーターは微笑みながら皆に脇によけるよう言い、左手で雑作なく弓を引っ張ってボールを取り戻しました。大地から生まれたシーターは、大地の磁力でものを引き付ける力を授かっていたのです。ジャナカ王はシーターの力の強さに驚きました。シーターは、ジャナカ王が供犠を行うために土を耕し畝間を掘り起こした際、土の中から見つけた赤子でした。それゆえこの子をシーター(畝間)と名づけましたが、ジャナカ王はシーターを母なる大地から生まれたものを意味する“プージャーター”という名で呼んでいました。王は自分がシーターを娘に持つことができたのは、多くの過去生において行った功徳のためであろうと考えました。そしてシヴァの弓を持ち上げることのできた者にシーターを嫁がせようと、ジャナカ王は決心しました。そのため、諸国の王と王子たちに招待状を送ったのです。そしてそのような盛大な催しに祝福があるよう、偉大な聖者らにも招待状を送ったのでした。
招待状を受け取ったヴィシュワーミトラ仙は、ラーマとラクシュマナにジャナカ王が持っている強弓のすごさについて語りました。「息子たちよ、ジャナカ王は世にも稀なすばらしい弓を持っている。その弓は普通の弓ではない。それは至高の神シヴァから授かった特別な弓なのだ。だれもこれに弦を張ることはおろか、持ち上げることさえできぬ。行ってその弓を見る価値は十分にある。私と一緒にヴィデーハ国の首都ミティラーに行くことにしよう」しかしラーマは父とかわした約束を思い、ヴィシュワーミトラにしずかに尋ねました。「師よ、わたしたちの父はあなたのお供をして森に行き、ヤグニャ(供犠)を守護することだけを命じました。ミティラーに行ってジャナカ王のヤグニャの儀式に加わり、弓を見ることは父に命じられていません。ミティラーに行くことは父の命令に背くことにならないでしょうか」ヴィシュワーミトラは、「あなたがたの父は、師のいうことに従うよう命じたのだ。それゆえ、わたしのいうことに従うことは、父の命令に従うことであり、約束を破ることにはならない」と答えました。二人の兄弟は師の言葉に頷き、安心して師と共にミティラーへと旅立つことにしました。
ヴィシュワーミトラがミティラーに向かう日になると、シッダーシュラマに暮らす修行者や近くに住む動物たちまで、はらはらと涙を流しました。それはこの聖者が二度とシッダーシュラマに戻ることがないとわかっていたからです。ヴィシュワーミトラは、動物たちに限りない愛情を向けていたのです。動物たちはラーマとラクシュマナからも離れようとしませんでした。アヨーディヤーから来た二人の王子に大きな愛を感じていたのです。
旅の間、ヴィシュワーミトラは道の途中にあったいくつかのアシュラムの歴史を語って聞かせてくれました。やがて一行は聖仙ガウタマのアシュラムにたどり着きました。そこにはガウタマ仙の妻アハリヤーが不義をはたらいたということで呪いを受け、石のように固くなったまま横たわっていました。ナーラーヤナ神(ヴィシュヌ)の化身であるラーマには起こったことのすべてがわかっていたのですが、あたかも何も知らないように振る舞っていました。ところが、ラーマがアハリヤーに近づいていくと、ラーマの御足から発せられるエネルギーの振動が、石と化したアハリヤーに新たな命のうねりを生じさせました。これまで耐え忍んできたアハリヤーは即座にラーマの御足に触れ、許しを乞うとともにどうかこの私を浄化して恩寵を注いでほしいと懇願し祈りました。まさにそのときその場所にガウタマ仙が姿を現わし、アハリヤーの穢れがはらわれたことを認めました。アハリヤーの真摯に神を求めるひたむきさがアハリヤー自身を救ったのです。ガウタマ仙には主ラーマがやって来て、自分のアシュラムを浄めて聖なる場所に変えてくれることがわかっていました。
ラーマとラクシュマナの二人の王子は、ヴィシュワーミトラ仙やガウタマ仙、それから他の大勢の聖賢らに伴われ、ミティラーに向かって歩みを進めました。一行がジャナカ王の都に到着すると、ミティラーの人々は街を歩く二人の兄弟ラーマとラクシュマナを見て、強力な磁石のように心を惹きつけられました。「おお!この少年たちは天国の王子のように美しいこと!彼らは太陽と月のように輝いています。彼らは誰なのでしょう。どこから来たのでしょう。どんな目的で来られたのでしょう?」と人々は口々に話しました。すると、一人の若い主婦が言いました。「わたしはアヨーディヤーで生まれ、このミティラーに嫁いで来ました。あの少年たちはアヨーデイヤーのダシャラタ王の王子ラーマとラクシュマナです。アヨーディヤーにおいても、彼らはたちまち人々を惹きつけました」
ラーマとラクシュマナは人々の注目の的でしたが、それにもかかわらず彼らは頭を上げることはありませんでした。彼らは頭を垂れたまま歩き、ご婦人たちを眺めるようなことは決してしませんでした。その当時の若者たちはみんなそのようにして感官を制御していたのです。すべての感覚は誤用されると識別する力を失い、動物的な心に支配されます。いかなる苦行をしても、見ること(目)、話すこと(舌)を正しくコントロールできなければ、どんな霊性修行も実を結びません。心の中にある本質を正しく役立たせるためには、感覚のコントロールは不可欠です。普遍的な愛(プレーマ)の境地に達するためには、感覚を正しく用いることが大切です。感覚から侵入してくる誘惑を克服することによって、心が鎮まり人間の内なる神性を体験することができるのです。それゆえラーマは日常において感覚を抑制することの大切さを、行動によって世の中に示しました。人間の本質であるアートマは、日常の感官の制御によって心が静まったときはじめて認識できるのです。
ミティラー城には、諸国の王や王子たちがすでに到着していました。肉体的にも無類の力を備えているラーヴァナもその一人でした。シヴァ神の巨大な弓は非常に重かったので、何千人もの屈強な男たちが力を合わせて王宮に運び込んできました。人々はいったい誰がどうやってそんなに重い弓を持ち上げるだろうかといぶかりました。王子たちは力試しに取り組むことよりも、シーターを勝ち得ることのほうに関心を抱いていました。一方、ラーマとラクシュマナは、ヴィシュワーミトラ仙の命令に従うために来ただけであり、何の期待も抱いていませんでした。王子たちは代わるがわる弓を持ち上げようとしましたが、あわれなことにその試みは失敗に終わりました。そのとき、ラーヴァナが前に進み出ました。たくましい体格と威厳に満ちた容貌をもち、見るからに強そうでしたが、何かおどろおどろしいものを感じさせる風貌でした。シーターの母であるスナーヤナは、ラーヴァナが弓を持ち上げる試みに失敗するよう、シヴァ神に熱心に祈っていました。弓の前に進み出たラーヴァナは、まず左手で弓を持ち上げようとしました。しかし、弓はビクともしませんでした。彼はあらん限りの力を振りしぼり、両手で弓を持ち上げようとしましたが、このとき弓の重みでバランスを崩し倒れてしまいました。ラーヴァナは弓の下に閉じ込められ、自力で脱出することができませんでした。彼は一同の嘲笑の的となりました。ラーヴァナは宮殿に集まった人々の前で自分のぶざまな姿がさらされ、大恥をかいたことに屈辱を感じました。エゴある者は必ず屈辱を受けます。社会の尊敬と名誉を受けることはできません。エゴは己を滅亡に連れて行きます。人々はあの強力なラーヴァナでさえ持ち上げることのできなかった弓を、ほかの誰が持ち上げることができるであろうかと思いました。
そのとき、ヴィシュワーミトラの合図にしたがってラーマは立ち上がり、弓のほうに向かって静かに進みました。弱冠十四歳の少年ラーマがシヴァ神の弓に向かって歩いていくと、王宮にどよめきがおきました。人々はラーマが放つ神々しい光輝に魅了され、畏敬の念に打たれたのです。そしてシーターの結婚相手としてラーマは申し分ない方だと感じました。ジャナカ王と妃スナーヤナも同じように感じていましたが、若いラーマがこの重い弓を持ち上げて、シーターを勝ち取ることができるかどうか心配でした。しかし、ラクシュマナはラーマが弓を持ち上げることができると確信していました。人々が見守る中、ラーマは弓に近づくとにっこり微笑み、左手を弓に置きました。なんということでしょう。強弓はラーマの左手で一瞬のうちに持ち上げられたのです。ラーマ自身に磁石のような磁力がそなわっていたので、弓を持ち上げるのはラーマにとって難しいことではありませんでした。次にラーマが弦を張ろうと弓を曲げると、都中に響き渡る雷のような音を立てて、弓は真っ二つに折れたのです。このとき、激しい振動が大地を揺るがせました。すると、ラクシュマナは地が傾かないよう大地を踏みしめたのです。師ヴィシュワーミトラがラクシュマナの不思議な行動を見てその訳を尋ねると、ラクシュマナはこう答えました。「これはわたしが兄に捧げねばならぬ助けなのです」ラクシュマナは識別力を持って鋭敏にはたらき、完全なる帰依の心で兄ラーマに仕えたのでした。
このようにラーマ、ラクシュマナ、バラタ、シャトルグナの四人の兄弟の間には、子供のときから互いに助け合う深い愛の絆と完全なる一体性がありました。彼らはただの一度も喧嘩をしたことがなく、互いに相手を幸せにしようと努めました。また、彼らの一体性によって他の人々をも喜ばせました。子どもの頃一緒に遊んでいるときでさえ、彼らは相手の幸運を望みました。あるとき、ラーマが弟たちと遊んでいたとき、突然バラタが走りだし、ラーマの産みの母カウサリヤーの膝に泣きつきました。カウサリヤーはバラタにたずねました。「わが子よ、なぜ泣くのですか。お兄さんたちと喧嘩でもしたのですか」バラタはこたえました。「お母様、お兄さんたちと喧嘩になったことは一度もありません。お兄さんたちは私を自分のことのように愛してくれています。ただ、ラーマは勝敗にまったくこだわらず、いつも私に勝たせたいのです」ラーマは、勝敗に執着しないことの大切さを弟たちに示したのです。
兄弟たちの間にはライバル意識はなく、勝ち負けで争うことはありませんでした。競争心やライバル意識は正しく使われなければ、怒りや妬みを生み自己破壊的なエネルギーの浪費になります。不健全な競争心やライバル意識を燃やすということは、常に怒りや妬みの炎で自分の体を焼いているのと同じことであり、それは情熱とは異なります。社会全体が競争社会であることは、怒りや妬みという悪い感情が個人だけではなく社会全体に蔓延していることを意味します。この後ろ向きのエネルギーは、個人にとっても害なのです。誰もが大変な量のエネルギーをライバル意識に費やしていますが、これはまさに浪費です。自分の能力やエネルギーはライバルへの対抗心など余計なことに使わず、己に克つという精神で自分を磨くことに向けるべきなのです。そしてライバルが困っていたら手を差し伸べてあげ、ライバルが自分よりいい仕事をやり遂げたなら自分のことのように喜んであげるのです。このように慈しみの心を持って人と接すると相手にもやさしい感情が芽生え、社会全体に慈しみの心が広がっていきます。ラーマは弟たちが幸福なとき、自分もまた最高の喜びを感じるのでした。四兄弟の間にはこれほどの一体性と愛があったのです。彼らは家族の中で兄弟が振る舞うべき理想を全世界に示しました。