6.ラーマとシーターの結婚

会場ではシヴァ神の弓を持ち上げたラーマを称え、音楽家たちがさまざまな楽器を携え聖なる歌を捧げました。ジャナカ王の喜びはとどまるところを知りませんでした。ジャナカ王は手に花輪を持っている娘シーターを伴って、直ちにラーマの前に進み出ました。「ラーマ王子よ、わたしはシヴァ神の弓を持ち上げた人とシーターを結婚させるという誓約をしました。わたしにとって自分の命よりも大切な娘です。どうかシーターとの結婚に同意してくださいますように!」ジャナカ王からこのように嘆願されたラーマは、敬意をもって王に言いました。「私は個人的な行動を慎み、ダルマ(神の摂理)に従った生き方を大切にしたいのです。自分の両親の許しを得ないで結婚の申し込みを受けることはできません」ラーマはいつもダルマを固く守りました。ジャナカ王がシーターを伴って来ても、マンガラスートラ(婚姻の証しの紐)を結ぶ前にシーターを見ることは規律に反すると考えていたので、彼女の方に目を向けようとさえしませんでした。ラーマは、女性はすべて自分の母だと感じていました。そして、シーターの内なる神性だけを見つめていたのです。このようにラーマはあらゆる美徳の化身でした。ラクシュマナもまたこうした模範的な風習を重んじ、感覚による誘惑に惑わされて、内なる神性を弱めないよう細心の注意を払いました。

ジャナカ王はラーマの申し出に同意し、すぐさま使者をダシャラタ王に送りました。そして三日後、ラーマの父ダシャラタ王は家族や親族、側近らを伴ってミティラーに到着しました。父王と王子たちは再会をともに喜び、家族は互いに顔を見合わせてたいへん幸せでした。

母なる大地から生まれたシーターとあらゆる美徳の化身ラーマとの結婚の合意が得られると、ジャナカ王はすぐにこの聖なる結婚式の準備を指示しました。そして、ジャナカ王の弟シャーカの娘ウールミラーをラクシュマナに嫁がせたいと考えました。この提案もまたすぐに合意が得られ、ウールミラーとラクシュマナの結婚も決まりました。また、ジャナカ王のもう一人の弟クシャドヴァジャには、マーンダヴィーとシュルタキールティという二人の娘がおりました。かれの二人の娘をバラタとシャトルグナに嫁がせることもすぐに同意が得られ、ジャナカ王はこのような四組の神聖な結婚がはるか昔から決められていたかのような事の成り行きを見て、歓びの涙を流しました。

四人の兄弟たちは、同時に結婚式を挙げることになりました。花嫁と花婿たちは、結婚の儀式の間ずっと謙虚に控え目に頭を垂れていました。かれらは非常に高潔だったので、結婚の契りの儀式が終わるまでは、誰も頭を上げることなく、互いの内なる神性だけを見つめていました。感覚は誤用されると、識別力を失います。それゆえ、結婚の契りが完全に終わるまで、見るという行為をコントロールしていたのです。こうした高いレベルの理想の態度は現代では見られなくなりましたが、それは当時かれらが守った厳しい規律でした。

ラーマとシーターの結婚は、肉体レベルでの結婚を意味するものではありません。肉体は単なる物質であり、それはプラクリティと呼ばれます。ラーマとシーターの結婚はプラクリティとパラマートマの結婚であり、個我(プラクリティ)と神性(パラマートマ)の結合です。つまりそれは、物質界に肉体をもって誕生した個我(プラクリティ)が神性(パラマートマ)と融合して一体になる、という究極の境地を意味します。結婚の儀式は単なる唯物的なものに見えますが、そこには深く霊的な意味が含まれているのです。宇宙に二元性はありません。本来、宇宙は不二一元であり、多様性の中に一体性の原理が隠されているのです。すなわち、すべては「一なる神」のあらわれです。多様な物質原理(プラクリティ)の背後には、霊的原理(パラマートマ)が存在しているのです。物質と魂は、二つの半円と見なすことができます。この二つの部分は、プラクリティとパラマートマと呼ばれてきました。神性はまさに、物質原理(プラクリティ)と霊的原理(神の霊パラマートマ)との結合なのです。

この二人の婚儀を見届けた聖賢ヴィシュワーミトラは、この世での自分の使命はすべて果たされたと感じました。そして皆に祝福を与えたあと、一人ヒマラヤへと旅立ちました。これが、聖賢ヴィシュワーミトラとの最後の別れでした。

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